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顔真卿 宋拓陜刻本争座位帖 西レイ印社版 中国語書道/颜真卿 宋拓陕刻本争座位帖
編著者:周鴻図
顔真卿、字清臣、名と字は合っていて父の世代の希望はここで見ることができます。
顔真卿の生涯もこの既定の軌道に沿って真を求めて清を求めていたようだ。
生涯玄宗、粛宗、代宗、徳宗の四朝大臣を歴任し唐王朝のために身を捨てて義を取り、
身を殺して仁を成した。
顔真卿撰碑は往々にして雲「琅砑顔真卿」から由来しその原籍が山東琅砑臨沂であるためである。
その父の顔惟貞、武則天授元年(690)に人の高位を判定し衢州に入隊させ、
長安尉、太子文学を歴任し草、隷属で名声を得た。
ほとんど父と同じように不幸で3歳の顔真卿も「少孤」の辛さを味わって母の殷氏が自ら指導した。
この運命の翻弄こそ発皇の才能の砥石かもしれない。
長くて勤勉と苦労の中で磨かれた顔真卿はすでに「儒学が少なく恭孝が自立している。
紙筆が貧しく黄土で壁を掃き書字を学び楷書を攻めるのが絶妙で詞翰超倫」である。
(『顔魯公集行状』)唐玄宗は開元二十二年(734)顔真卿は二十六歳で進士し、
また制科(朝廷が散逸を求めるために専門的な人材が臨時に設置した試験科目)を
握り順調に工場の官職に就いた。
彼は朝散郎、秘書省著作局校書郎、醴泉県尉を務め天宝二年(743)洛陽に参詣し張旭を訪れた。
天宝9年、顔真卿は御史を監察して殿の中で御史に仕え御史台傘下の三院の一つである
察院で官を務めた。
※出版年が古く相応に経年劣化が進んでいますので予めご了承願います。
ISBN:9787805178622
出版日:2004年12月1日
言語:中国語(簡体)
ページ:15
商品サイズ:A4 28.0 x 20.6 x 0.3cm
商品重量:150g
発送方法:メール便
商品コード : SSC-A40302-9787805178622 |
製造元 : 西レイ印社出版社 |
価格 : 1,089円(税込) |
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